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連合岐阜の皆様に、派遣2回目の被爆体験伝承講話を行いました。
本覚寺住職は2016年より広島市の「被爆体験伝承者」として年に数回、全国各地にて派遣の被爆体験伝承講話を行っております。今回は社会教化活動の一環としてこの場を借りてご紹介させて頂きます。
8月2日、岐阜県高山市の高山市民文化会館にて、連合岐阜の皆様に派遣2回目の被爆体験伝承講話を行いました。会場までは広島から米原まで新幹線、そこから在来線、更に岐阜から特急ひだに乗り換えて現地に向かいました。暑さがピークを迎える時期ですので、少し早めに到着して身支度を整えて会場に向かいました。
今回の講話も、担当者のH様が事前に本覚寺にお越しになるなど、しっかりと打ち合わせを行っていたのでとても安心でした。ご参加下さった皆様は、この暑さの中仕事帰りに聴講された方が多く、お疲れのところしっかりと耳を傾けて下さいました。ただ、今回も丁寧に説明をしたので講話時間が60分ギリギリで、最後は少し駆け足のような状態で講話をまとめました。欲張ってあれもこれもと話をすると、必ず時間が押してしまいますので、今後そうならないよう講話の内容を見直す予定です。
今回はお盆棚経の真っ最中でしたが、事前に日程が決まっていましたのでスケジュールを調整してお伺いすることが出来ました。結局、翌朝朝イチの特急に乗り広島に戻ってから盂蘭盆施餓鬼法要の準備と、非常に慌ただしく過ごしました。
この度は、連合岐阜の関係各位、講話に参加して下さった67名の皆様に厚く御礼申し上げます。また来年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
能登半島地震災害ボランティアに参加しました。
5月29日から6月1日まで、能登半島地震の災害ボランティア活動に行ってまいりました。地震発生が元旦であったことと、当方のスケジュール調整に手間取ってしまい、ようやく時間が取れてネットから2日間の活動予約を行いました。今回のボランティアに当たっては、これまでと同じく地元の社会福祉協議会でボランティア保険に加入し、活動に必要なものをまとめて準備を進めました。
29日午前10時に広島を出発し、20時過ぎに高岡市のホテルに到着しました。
30日、午前8時過ぎに七尾市災害ボランティアセンター(画像)に到着しました。駐車場は8時30分まで送迎があります。まずはQRコードを読み込んでチェックインし、受付で画像を確認してもらうとビブスを受け取り、名前を書いた名札を貼り付けます。オリエンテーションを受けマッチングと続き、7名のグループで午前・午後とも個人宅にて、1軒目は仮設住宅への引っ越し作業、2軒目は災害ゴミの搬出を行いました。1軒目の被災者は家が全壊とのことで、本当にお気の毒でした。仮設住宅での生活も大変だと思いますが、一日も早く元通りの生活になることを願わずにはいられませんでした。
31日も8名のグループで午前・午後とも3軒の災害ゴミの搬出を行いました。気温は20度くらいで涼しいはずなのに、汗だくになって作業をしました。3軒目のお宅では大きなブラウン管テレビを運ぼうとした際に、テレビが作業ズボンに引っかかり、股下から膝まで完全に破れてしまいました。怪我が無くて良かったのですが、災害ボランティアではガラスなどの破片が散乱していたりするので、防刃手袋・ヘルメット・安全靴などしっかりと対策をすることがとても重要です。
1日は6時過ぎにホテルを出発し、16時40分に広島に帰りました。今回の災害ボランティアに当たって、活動を理解してくれた寺族・檀信徒、ボランティアセンター関係者、一緒のグループで作業した皆様、その他関係各位に対し厚くお礼申し上げます。合掌
※七尾市も含めて、被災地にはまだまだ災害ボランティアの力が必要とされています。是非とも皆様の様々な形でのご支援をお願い申し上げます。
脳腫瘍になって考えたこと。
当ブログでは、本覚寺住職の個人的な想いを綴ります。どうぞ宜しくお願い申し上げます。
最初の投稿は、12月21日に仏教死生観研究会のブログに掲載された原稿をこちらでもご紹介します。
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「あなた、目が見えてないですよ!」
2019年2月7日、視力検査の際に担当者から指摘されました。
「目が見えてないってどういうこと? 確かに老眼で見えにくいけど……」
全く自覚症状はなく、すぐに眼科で検診を受けるよう勧められ、翌日に軽い気持ちで検査へ。
すると、検査後にドクターが深刻そうな面持ちで、
「突然のことで驚かれるかもしれませんが、脳腫瘍の疑いがあります。紹介状を書きますから、すぐに脳神経外科に行って精密検査を受けて下さい」
と言われ、いったい何が起こったのだろう? 何かの間違いじゃないの? と思いながら、その日のうちに紹介された脳神経外科に行きました。
CT検査の結果、ドクターから、
「あなたの脳の中に大きな腫瘍があります。肥大化が進んでいますので、うちではこれ以上対応出来ません。H病院の脳神経外科で再受診して、すぐに手術を受けて下さい」
まさに急転直下、それまで扁桃腺の手術で1週間入院したことがありましたが、まさか自分が脳腫瘍になっていた、というのは晴天の霹靂でした。
脳腫瘍と診断されて直感的に感じたのは、
「ああ、もしかしたら自分は脳腫瘍で死ぬのかもしれない」
「いや、今すぐ自分が死んで許される状況ではないし、困ったな……」
「でも、今自分が抱えている苦悩から解放されるのであれば、死ぬのも悪くない」
「待てよ、もしそうだとしたら身辺整理も始めないといけないのか……」
というような、複雑な思いでした。
それまで大きな病気もしたことがなく、健康であると過信していた自分にとって、想像もしていなかった体験だったのです。
だからと言って、自分で何か対処することも出来ません。自らが置かれた状況を頭の中で整理することも困難だったことを覚えています。
最初の視力検査から6日後、H病院で精密検査を受けました。主治医となったドクターは、検査結果の画像を示しながら、
「あなたの病名は、下垂体腺腫です。脳の中の下垂体というところにある大きな腫瘍が視神経を圧迫して、視野が欠けている原因となっています。治療方法としては、経鼻的手術により腫瘍を除去することになります。お忙しいとは思いますが、3月上旬に手術なので、2月27日から入院して下さい」
と診断・指示されました。ただ腫瘍自体は良性で、下垂体腺腫は適切な手術をすれば今すぐ死に直結する病気ではない、ということも伝えられました。
少しホッとしたと同時に、入院の日が近づいてくるにつれ、体験したことがない大手術に臨むことになった現実を受け入れられない自分がいたのです。
数日後、そんな私の頭の中に、ふと日蓮聖人の『弥源太殿御返事』のお言葉が浮かんできました。
法華経は三世の諸仏発心のつえ(杖)にて候ぞかし。但日蓮をつえ(杖)はしら(柱)ともたのみ給べし。
けはしき山、あしき道、つえ(杖)をつきぬればたをれず。殊に手をひかれぬればまろぶ事なし。
「ここまで来たら、まな板の上の鯉。こんな時こそ法華経と日蓮聖人を、杖・柱と信じて我が身をお任せするしかない」
という、ある種の覚悟のような気持ちです。
もちろん不安な気持ちが解消するわけではありませんでしたが、信仰の力によって心の持ち方を整え、3月4日に行われた手術に前向きに臨むことが出来ました。
私は自分自身の闘病経験を通じて、四苦八苦という私達が生きている限り逃れられない苦しみも、けして一人で立ち向かうのではなく、お釈迦様や祖師の教えを支えとして向き合うことの大切さを再確認させられた気がします。
それから4年後に初めて受けた「死の体験旅行Ⓡ」は、お陰様で視野も回復して通常の生活が出来るようになり、健康であることの尊さを忘れがちになっていた私にとって、当時のことをリアルに想起させてくれるとても良い体験になりました。
当たり前のように健康な生活をしていると、死を身近に感じる機会はめったにありません。
しかし、自分だけでなく身内や友人など大切な人を亡くしたり、難病や事故で生命の危機にさらされる可能性は誰にでもあります。
このブログをご覧になられる皆様が、生と死を考えるきっかけとして、1人でも多くワークショップに参加されることを願っています。